1986年8月10日:沼津機関区100年号〜EF551復活の頃の記録〜
2009年1月18日、EF551が2度目の引退を迎えることとなった。私のこれまでの撮影の活動は、EF551とあったといってもよいくらいであり、思い入れもある。なにせ、私が始めて写真を撮影し始め、初めて関東から出たときである。今回、1986年8月9日〜10日に東海道線で運転された、沼津機関区100年号や沼津機関区一般公開の写真を期間限定でここにアップしたい。
撮影への行きのときの写真? 沼津駅で撮影した貨物列車のようです。EF65F型は、EF551よりも早く昨年3月、最後の稼動機(更新済)ですら引退してしまいました。
吉原駅出てまもなく、上りさくら号が来てしまい、やむを得ず撮影したものかと。
東田子の浦方面へ歩いてきました。貨車の前の方はワキ10000でしょうか?
荷物列車最末期のころ、老朽化したEF58の代わりに牽引したのが、本来は勾配線区(信越線)用のEF62でした。
この日の沼津機関区100年号の上り列車1本目は、EF65F牽引、EF65F+EF551が後補機というプッシュプルでした。EF551が後姿を見せて営業運転しているのは珍しいかと。
EF65116牽引の有蓋車の貨物。この機関車、この後にJR貨物試験塗装機となって注目を集め、その後原色に復帰、一時もとの目立たない機関車になりましたが、現在岡山で貴重な原色の現役機となっているようですね。
上までの写真の直上、陸橋の上へ上りました(現在は撮影出来ない?)。113系の東京発静岡行or浜松行のようですが、何故か前面が「団体」になっているようです。現在ムーンライトながらの送り込み関連の373系を除き、この区間で東京から直通の普通列車は無く、グリーン車も過去のものですね。
対照的に、こちらは静岡ローカルの113系4両編成。短編成化の都合、113系非冷房の制御車と113系2000番代冷房中間車の組み合わせになっています。そのままでは中間車の冷房装置はスイッチがなくて使えないと思うのですが、この列車は制御車は窓が全開、中間車はすべて閉まっているようで、スイッチだけ取り付けていたのでしょうか。JR化後、このような編成は制御車が分散冷房装置で冷房改造されて残っていました。
こちらは111(または113系)系の6両編成(非冷房)のようです。私たちが沼津→吉原と移動したときにも非冷房車に乗った記憶が残っています。
折り返し下りの記念列車は、EF551を置いてきて、EF65F型の重連でした。F型としては正しい使い方(笑)です。当時の所属を今把握していませんが、F型は沼津所属だったからでしょうか。JR化前後にEF65P・F型は最期の地として高崎に移動(暫く一部のP型は新鶴見にいたようですが)し、東海道線から姿を消していきました。
こちらもEF62の荷物列車。この列車の廃止とともに、汐留駅が消えました・・・。
急行富士川号。現在は全て静岡発着のためこの区間を走りませんが、当時は新幹線三島連絡ということで、日中1往復のみ、三島発着となっていました。
113系6両編成・・・ですが、房総よりやって来たスカ色編成です。当時はなぜこの色の編成がいたのかびっくりしました。当時の雑誌を読むと、この少し前に1編成転入してきていました。が、この次のダイヤ改正(61.11)では、この編成の両先頭車は房総地区短編成化のため出戻り、中間車のみそのまま静岡に居残り(JR東海継承)となったようです。
富士宮臨こと団体列車。さいきんはめっきりなくなってしまいました。東京方面は勿論、もう関西側も? 牽引のEF651027は最終配置田端。
さらにの上り記念列車4号。先ほどのEF65F型重連が東京側に移っただけですね。
113系6両編成の普通列車、下り側先頭に荷物車つき。現在、郵便荷物車は旅客用車両に連結されることはない(客室の一部締め切って荷物室としている例は、最後の荷物車による新聞輸送を行った房総地区だけでなく、現在でも各地で見られる)ので、貴重な記録です。しかも、この列車は、飯田線から写ってきたクモユニ147型で、とても違和感がありました。このクモユニ147はJR化後はクモハ123-40番代に改造されましたが、十分記録できずに終わりました。
EF60牽引の貨物列車。短編成なことからして、吉原とか富士への紙輸送用?
牽引のEF65105というと、初代EF65ユーロカラーの機関車ですね。この当時はまだ埋もれた一般機。
実はここで先ほどの113系スカ色が戻ってくるのを待っていました。順光(東向き)で待っていたら、なんと前より4両増結して後ろに隠れてしまっていました。完全に失敗です。よく見ると、この編成の前面幕、「普通」の下に何か見えます。当時、静岡地区の113系は「普通」幕は何も書いていないのに対し、房総はアルファベットを添えていたので、転属前の幕をそのまま使っていたようです。
少し東田子の浦の方に歩いてきました。こちらは単独の荷物電車。クモユニ74型の初期車です。当時は当然、そんな知識はありませんで「大目玉」くらいしかわかりませんでした。
さらに視点を上に持っていって、天井周り。東京メトロ10000系と同じような構造で、天井は高いですし、内装をホワイト形の色としているので、明るいですね。こういうところは、ちゃんと他者の車両の良いところと悪い(であろう)ところをよく分析されていたのでは?
さらにの下り記念列車(5号?)。こちらもFの重連か。
東田子の浦駅まで歩いて(夏に小学1年生がこの区間を歩くのは辛かった)、沼津まで戻り、機関区の基地公開へ。ここよりその中の写真です。EF538というと、現在も横川で保存されているEF591号機ですね。当時はまだ現役で、返却時に戻すことを前提に現番号で展示されたとか。EF53は東海道線と縁が深い系列ですから。
ご存知、EF551。なんか逆光で悪条件です(笑) いまこういうイベントをやると、なかなかこんな離れて撮影出来ないですねぇ。
このイベントで多分一番有名なアングル(笑)です。左からEF15184、EF6095、EF58170。今だったらこれでも満足でしょうが、当時だったら、「何でEF60を茶色に塗り替えたのが後期車なんだ(※この車は廃車予定だったので、この姿で営業運転していない)」とか、「EF58がHゴムなのは仕方ないが、せめてシールドビームじゃない車にして欲しかった」とか思ったのでしょうか。
恐らくこのイベントが一般向け初公開だったと思われる119系「するがシャトル」。老朽化の進んだ111系4両編成を置き換えるに当たり、余剰の165系を飯田線に投入して、捻出した119系を改造したんでしたっけ? とても斬新な塗装で目を引きました。そもそも低規格の飯田線用に設計された119系なこともあり、現在は飯田線に戻って、残っていた車と混用されてます。
直流の沼津にはまったく縁もゆかりもないED7537号機。なんで遠方より借り入れてまで展示対象となったのでしょうか。そういえば、39号機も保存を目的に高崎に長らく留置されました(その後解体)
こちらも上のED75と同様、わざわざ遠方(門司)から借り入れたEF3017。こちらは20号機が後に高崎で留置後、横川に保存されています。
DD161、JRへ現役での継承はされていない機ですが、このトップナンバーは今でも長野総セに保存されているようです。DD16は本来の使用線区ではないとは言え、引退が近いとの声を聞いて、11月の信越線イベントで遠路黒姫まで撮影行ってきました。
画像を引き伸ばして見るとクモヤ22112?。というと、JR東海になってイベント用に旅客改造されてクモハ12041となった車ですね。ゲタ電号として以前は飯田線で活躍していましたが、現在は引退。昨年3月に飯田線を乗りとおしたときには、伊那松島の車庫に、色褪せた姿で留置されていました。改造車でJR東日本が保管するクモハ12052/053とは異なりますが、貴重な車なので、大切にしてもらいたいものですが・・・。
最後に、この写真は、恐らく駅の跨線橋から撮影したものと思われます。手前はクモヤ495(→クモヤ193-50番代に改造)ですね。当時の私はこの系列は全く無知でした。そのほか、ラッセル車などの奥に色々と事業用の客車が展示されていますが・・・客車についてはまったく写真の記録がありませんでした。今思えば何と勿体無い・・・
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