2009年3月8日:米坂線旧型気動車最終章

 いよいよ、2009年3月改正で、米坂線を走る、キハ52・58型を含む旧型気動車が全て新型気動車に置き換わります。改正を前に2009年3月8日に米坂線で撮影を行ってきました。このページでは、3月8日の撮影の記録とあわせて、昨年、2008年1月12日に米坂線を乗車したときの写真を合わせて紹介します。


 新潟方面へは・・・ということで、3月改正で臨時列車となるムーンライトえちご号で、新潟入り。この日は4つライトのクハ481-1508先頭のT18編成でしたが、途中の大宮駅乗車のため撮影できず。高崎でホームに降りようか迷いましたが、眠くて睡眠優先と、結局降りずじまい。長岡で一度目を覚ましたが、次は新潟到着数分前でした。快速で坂町まで移動し、しばし駅の待合室で待機。


 米坂線の旅は、今回も坂町発7時12分の初電(1128D)にて。この日の編成は、米沢方が新潟色のキハ52102でした。なお、坂町方は新新潟色のキハ47でした。入線してくる編成(1121Dの正面がキハ47になる)を見て、明らかに移動する人がいました。無事座席を確保できました。改正前最後の日曜日とは言っても、十分座席に余裕がありました。


 1128Dは、途中の越後金丸で、米沢始発初電の1123Dと交換があります。この日の編成は、坂町方から首都圏色のキハ40+急行色のキハ58。ネットで事前情報として確認していましたが、急行色同士のコンビは崩されているようです。

 途中、羽前沼沢下車。今回の目標は外からの撮影と言うことで出掛けて来ましたので、天候に恵まれた(薄曇)ことに感謝したいです。沿線撮影となると、比較的気楽な田んぼの中である羽前椿以東ではなく、サミット近い山の中の区間を選択することとしましたが、今回は、羽前沼沢→伊佐領を徒歩移動して、1箇所1本(とは言っても合計3本、うち1本は新型)としました。鉄道で4.7kmの距離のこの区間ですが、路上は完全に積雪が無く、歩きやすく幸いでした。



 沼沢から戻ること少々、国道113号線が線路に接近した場所。前後撮影できるポジションを確保して2時間弱待ち。狙いは上り快速べにばな(3822D)。期待に背かず、米沢方が一般色キハ52でした。後ろは新潟色のキハ40でした。米坂線内は各駅停車とはいっても快速である証は、後ろのキハ40の種別表示で確認できます。



 撮影後、1時間強の待ち時間の間に歩みを進め、次なる撮影へ。次の被写体は、残念ながら昨年秋に新型車両に置き換え済みということで、どちらかというと風景重視でのアングルということで、弁当沢橋の真ん中から下を走る米坂線を見下ろす形でにしました。高いところはあまり得意でない私、かなり高い橋だけにちょっとびくびくしてました(笑) 被写体である1129Dは坂町方よりキハE130+キハ110の2両編成。置き換え前は旧型車両3両だっただけに、被写体としては残念です(3両の運用は無くなってしまった)。上の写真はピンボケで失敗。

 撮影後、3本目まではさらに1時間半以上あり、伊佐領へ向けてトンネル3本潜って、最後は有名ポイントへ。既に何本も三脚が立っており、駐車スペースにも鉄道ファンらしき車が数台待機していました。三脚を立てようとしたときに雪に足を埋めてしまい、掘り出すトラブル(笑) 無事足を引っこ抜き、三脚を立てた後、徒歩で来た私らは車の中(暖かい場所)に入ることも出来ず、道端に座って昼食&靴の乾燥(雪に突っ込んだので濡れた)をしていました。近くにある温度計は7度を示し、雪が積もっていても時々吹く風を除けば過ごしやすい陽気でした。有名なポイントだけに、時間が近づくと続々と人が集まり、最終的に30人くらい集まりました。(ほとんどの人が車で来た)


 今回の被写体は、1131D。坂町方から首都圏色キハ47+一般色キハ52のコンビでした。やや側面が白くなってしまいました。このアングルは3両ぐらいで撮影したいですね。

 東京へこの日のうちに普通列車で戻るためには、この次の列車がラストになるため、撮影後は早々に荷物をまとめ、伊佐領まで引き続き徒歩。日が差すくらいの天気は歩くには丁度良い感じでした。路肩に若干雪はありますが、歩きやすく、順調に伊佐領駅到着。濡れた靴下と靴を乾かすのには、ホームで待っているので問題が無いくらい暖かかった。


 14時34分発の米沢行きもこの日初登場の編成。米沢方よりキハ47+キハ52でともに新潟色でした。ホームの端で入線シーンを撮影しましたが、枕木にあわせてカメラを構えたら、車両が傾いてしまいました(泣) この列車には4人の鉄道ファンが乗車しました。

 後ろのキハ52は適当な座席が無く、前のキハ47に乗車。ボックスシート4人分を一人で占拠している方もいましたが、特に2里で割り込むことはしないで、ロングシートで適当に。宇津峠過ぎて一度眠り、次は今泉付近で起きました。若干空いたので空いたボックスに移動。窓の外を見ていると、田んぼの区間で、踏み切りや道路からカメラを構えている方多数。被写体が2両編成だけに、背景を選んでも、撮影できる場所が多いです。私らは、そのまま終点の米沢まで乗車しました。15時46分着。乗車してきた編成が折り返し16時08分発の坂町行きとなるのですが、この列車を撮影するため速攻最上川の橋梁脇まで移動。早歩きで20分、通過2分前になんとか線路際に到着。


 1133Dは先ほどの編成の折り返し。十分アングルを考える時間は無く、カメラを出すのが精一杯な感じです。2両と短いので、端のすぐ脇の木も目立たず。逆に奥のほうの家が目立ちますが。


 米沢16時55分着となる今泉発の1146Dは、朝の上り快速べにばなの編成です。後ろの家が入ってしまうのは仕方が無いですが、より背後の山が大きく写るアングルと目指して、側面寄りにしました。奥(米沢方)のキハ52もバッチリです。この間試行錯誤で場所を移動しているときに、土手の雪の深みにはまり、折角乾いた靴が中まで濡れてしまいました。時間が時間だけに、帰りの列車の車内で乾かしました・・・


 最後は、米沢16時56分発、1135D羽前椿行き。この列車は、朝坂町から乗車した1123Dの編成で運行されます。あまり好きでない色とは言え、赤の新新潟色の車両もカメラに収めることが出来ました。日が暮れてきて、分単位で暗くなってきたので、露出合わせに苦心しました。

 これにて、撮影終了。17時45分発の福島行きに乗車すべく、再び米沢駅に戻りました。駅弁を購入して、座席を確保。18時ごろになる峠駅を発車してから夕食。峠駅の力餅は立ち売りは残っていましたが、在庫が3つ。最初の人が2つ、次の人が最後の1つを購入。3人目の私らは購入できませんでした。ちょっと残念。福島からもローカル乗り継ぎで、自宅着が日を変わったあとでした。大宮でちょうど1日後でした。

 さて、私は今回最後の姿を撮影にしに行ったわけでしたが、すでにワンマン用ミラー取り付けなど、車両置き換えの話が高まっていたこともあって、2008年1月12日〜13日の旅行で米坂線に乗車していました。今回はブログでも紹介していないそのときの写真をここで公開します。
 このときは、同じようにムーンライトえちご号で新潟入りし、米沢まで米坂線を乗車。奥羽本線を北上し、夕方に北上線で東北線に抜け、一ノ関で宿泊するような行程を組んでいました。


 途中の羽前金丸にて交換は今回と同じく。この日はキハ47+一般色のキハ52と言う編成。この日は新潟、山形ともに雪の天候で、列車の先頭には雪が付着しています。今回は30人は降りてきましたが、この日は私らのほかに1人だけ降りて撮影していたかと思います(次のコマで乗車している列車を向いて撮影していましたが、誰も写っていません。今回は撮影出来ないほどの人でした)。


 1128Dは前を走る羽前椿始発1126Dとの間隔調整のため、羽前椿で10分ほど時間調整をします。このときに乗車している編成を撮影できます。この日はご覧のように、急行色コンビ(キハ52+キハ28)でした。乗車しているのは青春18きっぷによる鉄道ファンがほとんどでしたが、非常に空いていました。


 さらに今泉では24分ほどの長時間停車で間隔調整と山形鉄道線接続待ち。停車位置の関係でキハ28側の撮影はしにくいでした。この時間雪は小康状態でしたが、駅の屋根の雪が、東北の冬を象徴しています。


 米沢駅に到着して撮影した1129D。ちょっとわかりにくいですが、3両編成で運転されていました。真ん中がキハ52で3両とも新潟色の編成でした。


 4番ホーム駅舎寄りに留置中の1131D充当編成(乗ってきた1128Dは誘導信号で4番ホーム先端に停車しましたが、既に写真奥手の本線へ入れ替え中です)。米沢方が新潟色のキハ58のへんせいでした。キハ58はご存知のようにキハ28と組まないとクーラーが使えないのですが、新津のキハ28は急行色の車しかおらず、普段は急行色同士と編成を組んでいます。このキハ58677の冷房は最後にいつ使ったのでしょうか?(キハ28は2両給電できるので、急行色の編成と組んで3両ならば使えますが、運用上ありえない)


 側線の駅舎寄りに留置中の編成。朝米沢〜羽前椿を1往復しかしない運用(1125D〜1124D)ですので、この日はもうお休みです。ちなみに時間が無かったため撮影していませんが今回も同じような編成が留置されていました。


 夕方の運用に備えて引き上げた急行色編成。早速給油作業が始まるようでした。明らかに大きな雪粒が写っています・・・

戻る